清澄白河と私

清澄白河
この地名を初めて目にしたのはいつのことだったか正確な時期を思い出すことは難しい。唯一覚えているのは脳内で「せいちょうしらかわ」と盛大に誤った読みをしたことくらいだ。

さて、縁もゆかりもない清澄白河にここ数年心を惹かれている。
基本情報や周辺情報を時間をかけてリサーチしたわけでもない。感覚的に「下町っぽい」「倉庫を改良したカフェがたくさんある」といった程度だ。それにも関わらずこの土地が気になって仕方がない。気になり過ぎて暇な時間に清澄白河の物件と家賃を調べてしまうこともある(ちなみに今自分が住んでいる物件と同じ条件で検索をかけると家賃がプラス3万円される。とてもじゃないが現時点で住むのは難しい)…

前置きはこれくらいにしよう。人生初のカフェの3軒ハシゴの記録、とくとご覧あれ。

ブルーボトルコーヒー 清澄白河フラッグシップカフェ


ご存知サードウェーブコーヒーの代名詞。昨年10月にリニューアルオープンしたとのことで混雑を覚悟したが自分が入店したタイミングではすんなりと案内された。
お恥ずかしながら清澄白河のブルーボトルは今回が初の来店で(南青山と新宿に時々足を運ぶ程度)、きちんと有名どころを押さえたく足を運んだ次第である。店内の写真撮影は何となく憚られてしまったので文章の説明のみとするが、カフェというより研究所の雰囲気が感じられ、店員さんも青を基調とする制服を身にまとっており、統率感のある接客が心地良かった。

今回は期間限定のタルトの存在を事前にチェックしており、悩むことなく注文した。


ドリップの「コロンビア・ビルバオ・ロスバスコス」とシーズナルタルトの苺。
コーヒーの程よい酸味と苺の甘さがたまらない。

②ARiSE COFFEE ROASTERS
まずは外観をご覧いただきたい。


ブルーボトルとはまったく異なる雰囲気であった。店内も一見狭く感じられたがコーヒーを淹れるスペースと偶然にも良い配置の椅子の並びが妙に心地よく感じられた。こちらも自分が入店してコーヒーを飲む頃に次から次へと他のお客さんが詰め寄ってきた。


全部で15種類用意されている豆から初めての人向けのDominicaをチョイス。
苺のような酸味と深い香りで満たされた。

③深川 猫の目堂
注意をせずに通りを歩いていると見落としてしまいそうな入口を構えている。


店内はカウンター席中心でお一人様でもご安心(自分は2人席に通してもらったが)。
先の2店とは異なり、和風テイストの雰囲気で一服できるのが良ポイント。


「猫の目風バスク」と「猫の目ブレンド」を注文。
バスク風チーズケーキはほろ苦のカラメルとプリンの様なチーズムースが絶妙な味わいであった。コーヒーはここに来る前に酸味の強いものを立て続けに飲んでいたこともありあっさりし過ぎに思えたが、それでもサラっと飲みやすい印象であった。
うろ覚えで恐縮ではあるが、ケーキのメニューが充実していたので次回訪れる機会があれば紹介したい。

総括
今回は目につくお店にガンガン入ってひたすらに美味しいものを味わってきた。実は昨日若干の体調不良で終日家に引きこもっていたのだが、清澄白河の街並みを歩きつつ時々コーヒーとお菓子で一服しているうちに元気を取り戻したかのようだ。まだまだ訪れたい店舗はたくさんある。清澄白河に対する個人的関心が鎮まることは当分はなさそうだ。

1月活動記録

 


2020年最初のブログ更新がまさかの1月終わりになってしまった。というわけで(?)、今年は月末に何か書く際はその月の振り返りをババっとまとめてみようと思う。あくまで備忘録として。

1月1日
28歳の誕生日を迎える。実は元日生まれの私。今年の抱負について何か記したい気持ちはゼロではなかったのだが新年の穏やかな時間の流れに身を任せズルズルここまで来てしまった。年始は例年通り親戚の家で新年会をしたり、高校時代の親友と近況報告を兼ねて表参道に繰り出すなど充実していた。世間がポケモン剣盾ムードの中、なぜか実家で発掘したポケモンクリスタルVCの続きを黙々と進めていたりもした(年末から着手していたらしい)。
 


 1月13日
ゴッホ展@上野の森美術館
会期中の序盤に行くはずがあまりの混雑で断念し、気がつくと展示最終日に。
開館1時間前に入口に来てみると既に80人近く待機しており、その人気ぶりを再確認。
ゴッホの初期の作品群はスタイルを模索している様子が伺えた。

 
1月18日
合奏団リリカ第6回定期一揆〜特別誂え小夜曲〜
2020年のマンドリンの演奏会の第1戦。歌にライブペインティングに活弁士にと普段馴染みのマンドリン合奏はどこへやら。例年は10月開催で演奏会最後に演奏する某曲を弾き終わると「あぁ今年も終わりかぁ」と心の声が出ていたものであるが、年の始めの演奏会で「あぁ今年始まったなぁ」に変わっていた。(そういえば本番までにUndertaleを終わらせるつもりでしたが未達成に終わりました、そのうちどこかでやります…)

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1月25日
ハプスブルク展@国立西洋美術館
またしても会期終了ギリギリの訪問に。少しは学習しなさい。
今回もオープン同時入室を狙って朝の8時過ぎに正面の門の前に来てみたが誰も並んでおらず結果的に1番乗りすることができた。感想は以下tweetで。


総括
2020年最初の1ヶ月は自分の趣味にそこそこ時間を割くことができたのでなかなかに充実していたのではないだろうか。2月は夏休み中の某レクリエーション団体マンドリン団体のとある部活動が始動したり月末にはお祝い事で昨年12月振りの京都遠征も控えているため、体調に気をつけながら各イベントを満喫したい。ブログも月2回くらいは頑張って更新したい。

超高速・2010年代を振り返る

本当は1年ずつ振り返りをしたいところではあるが少々時間が足りない。2355・0655年越しスペシャルを視聴しながらブログを書く元気はきっと残っていないであろう。駆け足ではあるが振り返ってみよう。

この10年間は前半5年と後半5年でぴったり区切ることができる。前者は学生パート、後者は社会人パートとして。10年前の今頃は受験生延長戦も佳境を迎えており、結果として行きたかった大学の合格を勝ち取ることができた。大学入学後は生まれ育った千葉を離れてさながら国内留学と言えるだろう、実際海は越えていたし。しかしながら学生生活の98%はマンドリンに捧げる生活であった。高校で経験してはいたものの多分続けはしないだろうと予感していたがあっさり裏切られてしまった。残りの2%は大学時代の専攻についてである。高等教育研究に興味関心を持ち、社会人になった今でも入試制度改革の動向や大学運営の諸問題の報道を追いかけている。

社会人としての5年間は転職が大きなターニングポイントであった。まさか自分が「新卒3年で〜」と言われる事象を経験することになるとは大学卒業時点で1ミリも想像だにしていなかった。転職後も1年とちょっとで部署異動になりバタバタした日々であった。学生ぶりの1人暮らしも始めることになった。当時とは異なる生活スタイルでありながらも概ね順応できているといったところか。そして幸いにも社会人としてのマンドリン活動は密度の濃い時間を過ごすことができた。毎年見たことのない音楽の世界に触れることができたのはまさしく奇跡そのものである。

大学進学も転職もそうであったが、この10年間は「遠回り」という言葉がよく当てはまる。この先の10年は今以上の「遠回り」で進むのかもしれない。「遠回り」の先に納得のいく答えが出せるように自分を偽らずに生きていこうと思う。

京都を「再考」する

随分と高尚な題名を付けてしまったが実際はただの旅行記である(ちなみに題名を決めてから10日以上放置していたのはここだけのお話)。

私が所属しているマンドリン楽団のメンバーで開催された1泊2日の関西旅行、初日は京都であった。班ごとにわかれて各テーマに沿って観光を楽しむ…さながら大人の修学旅行と言ったところであろうか。

個人的には5年振りの京都訪問で、それ以前にも数回訪れたことがあるが来るたびに違う印象を抱く。中学や高校の修学旅行では街中にさも当たり前のように寺社仏閣や世界遺産が連ねる様子にただ驚いていた。就職活動で訪れた際には自分が京都で働き生活をする様子を思い浮かべ、未来への希望を抱いていたことも事実だ(二次面接で敗退したためそんな希望はあっけなく砕け散ったのだが)。

さて今回の京都、長年思い描いていた行程を実行することができた。それは銀閣を訪問し、哲学の道を歩くというものである。ポピュラーな行程では?と思われる方も多いであろう。しかしこれまでの京都訪問、銀閣方面にあまり興味のないメンバーとの観光やらそもそも銀閣が改修工事中でプランからまっ先に外されるやら、上手く事が運ばないことが多かったのである。

高まる期待に胸を躍らせ、いざ銀閣とご対面。

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銀閣に関しての知識は足利義政と書院造のセット程度のものであるが、その凛とした佇まいに胸を打たれた。と同時にある事に気が付いた。私の周りでは数多くの観光客が銀閣を目にし、写真を撮り、お互いに感想を述べ合っている。にもかかわらず、銀閣と私の間に「静寂」が垣間見えたのだ。別に何かを語りかけてくるわけでもないし、一方的に感情を押し付けてくるわけでもない。ただ「静寂」がそこに存在しているだけである。もしかするとこれまでの京都訪問の際にもこうした「静寂」と出会っていたのかもしれない。それともただ単に年を取っただけなのかもしれない。ただ今回の京都の印象はこうした一瞬の「静寂」との出会いに全てが集約されたのであった。次に京都を訪れる時にはどんな印象と出会うのであろうか。きっとまた違った印象が出迎えてくれるに違いない。

銀閣を後にし、哲学の道を歩き終え、ふと振り返るとやはり「静寂」がそこに存在した。

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John Lennonの命日に寄せた小噺

1980年12月8日、The BeatlesのメンバーであったJohn Lennonがこの世を去った(これ以降カタカナ表記とアルファベット表記がごちゃ混ぜになるがどうかお許しを)。

1日過ぎてるのでは?と思われるかもしれないが日本時間での彼の訃報は翌9日のため一応セーフということで。

毎年この日になると思いだす、というより刷り込まれてしまったエピソードを本日は紹介したい。

このエピソードを初めて聞いたのは中学2年の12月8日だか9日だかである。当時発売されていたベストアルバムを家のリビングで流していた時のことであった。

Working Class Hero

Working Class Hero

  • アーティスト:John Lennon
  • 出版社/メーカー: EMI Europe Generic
  • 発売日: 2005/09/05
  • メディア: CD
 

Disc 1の最後の曲、Happy Xmas(War is Over)が始まったところで母が突然話しかけてきた。

「この曲を聴くと思い出すのよねぇ」

なんだ失恋エピソード語りでも始まるのかと内心期待しながら、話の続きを待った。

 

「大学の同期で忘年会してた時にね、お店のテレビでジョンレノンが撃たれたってニュースをやってたの。クリスマスシーズンだったからその曲も流れててね、そんな時に私の隣に座ってた子が言い出したの、彼こそ平和を愛していた人なのに、皮肉よねぇって」

 

当時は純粋な心の持ち主であった私はその話を聞いて思わずジーンとしてしまった。母の友人の気持ちも痛いほど伝わってきたし、世界から偉大な人物が去ってしまったことへの悲しみがこみ上げてきた、そう当時は。

しかしである。その年以降ジョンレノンの命日が訪れる度に母は私にこの話をしてくるのだ。3年目くらいから私はだんだんと母の話に飽きてしまっていた。大学生の間は実家を離れていたため流石にその話を聞かされることはなかったが、社会人になって実家に戻ってからやはりこのエピソードが待っていた。よく飽きないな、母よ。

一人暮らしを始めた現在、もし実家に残っていたらやはりこのエピソードを話し始めるのであろうか、ふとそんなことを思って文字に起こしてみた。ただ話のきっかけは何であれ、自分の好きなアーティストについて誰かと語るのは良いものである。このブログでも時々そうした投稿をしてみようと思う。

最後に、私が一番好きなジョンレノンの曲を紹介して本日の投稿を締め括りたい。お時間ある時に是非聴いてみてほしい。

 

自己紹介に代えて。

全く、このブログ名を見た英国民はどう思うであろうか。

伝統と気品の象徴が日本における年代層の俗称と混同されてしまっては怒り狂う者が現れてもおかしなことではないであろう。

大体、2019年12月現在で文字通りアラサーと呼ばれる世代ではあるが、実際に30を迎えたらこのブログ名は使えない。もっと言うと、この数年周囲から「本当は30代では?」と問われることもあった。誠に遺憾である。

 …そんなわけで、着々と30代に向かっていく日々の中で頭に浮かんだことや体験したことのいくつかを記すべくこのブログを始めた次第である。気ままにかつ不定期に突然支離滅裂な文章を投稿すると思われるが、何かのきっかけで目に触れてもらえれば幸いである。